痛快明石家電子台見てた

さんまさんが還暦に成ったらしい60

はじめファンだったとき彼は20代でしたよ

ヤングオーオー!!

みんな意味わからない。

向こうが20代だったのに。

中川家のやるサンマさんの物まね面白い

本当は真面目にネタ帳を書いてて難しい顔で

人が来たらササッと隠すんですね。

生い立ちとかも知ったもん。

だけどもさんまさんだけが子供の時

かわいそうなわけではないやろな。

youtubeで知ってる声としてきこえてると

安心感がありますよね


DAIGOの嫁の北川景子さんが家売る女っていう

不動産屋のドラマしてて。

それうちの従姉妹モデルやろ。

こりゃ見なければと探してたんですが。

従姉妹わかってないやろうな

あんたがモデルやということね。

七月からやってたらしく。

他にもキムタクとも出てたんでしょ。

キムタクに古畑二代目か似たドラマさせて

中居君には小野田さんがルパング島から帰ってた映画を

作ってもらいたいんですよね。

30年間ジャングルにおられた。

フリーターの若者が見つけたんです小野田さんを。

国家や母親、父親が何回も行ってジャングルで

「小野田さーん戦争は終わったよ」

呼びかけてるのに出てこなかったのに

小野田さんの霊魂が中居君に言ってる

同じく30年もつらいお勤めをしたでしょ

顔も少し似た感じで。

小野田さんは全国から寄付が集まったのに受け取らずに

「気の毒なのは亡くなった人だ」

といって靖国神社に全部寄付なさって。

恩給とか年金では食べていけないから

友達に借金してブラジルに牛と土地かって

一から耕して農場なさって暮らしたの。

ただ良い奥さんはみつかった。

奥さんは元々、強い男性が好きで

偶然に知り合って結婚なさったんです

2人借金背負ってブラジルで土地開拓したわけですよ。

ジャングルで30年ブラジルでも30超えでしょうね。



なんでそれブラジル行ったかと言うと

田舎に帰ってもやっかむやつらが


「アイツはジャングルになんかいなかったんだ
女のヒモになって暮らしてたんだ」


と言ったらしい。

なにくそと思って故郷を捨てて

未開のブラジルで牛買ってがんばったんですね。

お母さんもそのほうが良いとおっしゃったそうです。

よくあるやっかみなのに小野田少尉にとってはね

慣れてなかったんでしょうね。

ラストサムライといわれていますね。

親は政治家だったそうで。

裕福な子供の時で17才で上海かどっかで貿易商やって成功してて。

毎晩、ダンスホールとかいって遊んだんだって。

あのときに自分は十分遊んだから

ジャングルに30年居てもそれで帳尻は合うんですってさ。


子供の頃は小野田さんとか横井さんに泣くことはなかったけど

今は泣けてきますね。

運命なんですかね。

親兄弟がフィリピンの島に2-3回探しに来てるのに

出てこずに葬式まであげられたんですよ。

終戦の後すぐに息子さんは亡くなりましたて

葬式二回あげたのかな探しても出てこないときにも

それでもやっぱり生きてたんだものな。

ジャングルで二日間耐えることだって

食べ物から飲み水からどうしていいかわからないし。

子供の時に「おのださーん」

ギャグにしてたから罰当たったのかもね。

涙なくしては語れないな細かいことがね。

上官の命令があるまでは帰れないんだと日本から来た青年に言ったんですよ。

それで戦後30年たってるまに上官が

飛行機でジャングルまできたんですよ

それで正式に任務終了の通知を小野田少尉に渡して

それで彼の戦争は終わったんですが。

帰国してからも大変だったわけ

フィリピンに行く前に母親から

生きて帰ってくるなみたいなことを言われて

短剣を渡されて包丁みたいなのを

もしも敵につかまったらこれでいさぎよく死ねと

それを帰国して母親に返すまで持ってた。

はじめは一人じゃなかったんですよ

次々と亡くなってしまったんですね。

やっぱりフィリピンバナナは良い食料になったようですね。

最後に日本人が迎えに来たときも

ああこれで自分は処刑されるんだなと思ったんだって

立派に死んでやれともういいやと

ところがフィリピンの人たちが自分の身体から

離れないように歩いてアレこれは処刑じゃないぞ

やっと気がついたんだって。

そんな小野田さんが日本に戻ってきたのが私と同じ

50の時ですからね。そしてまたブラジルに行ったけどね。